女闘美について

別ページでキャットファイトとは何か、語源は何かというのを私の知っている範囲で記載しましたが、ここでは日本人の手で日本語で定義された女同士の闘いを指し示す用語である”女闘美(メトミと読みます)”について過去の資料と情報から私の推察を交えつつ紹介してみたいと思います。字数がかなり多く真面目な内容になってますが、キャットファイト好きであれば一度は目を通していただければと思います。

目次

女闘美とは

今現在キャットファイトという用語は日本の中でも一般の方に大分広がってきており、”女同士の闘いや争い”を指す言葉として、色々なところでこの単語を耳にする機会が増えてきているのではないでしょうか。

しかし、このキャットファイトという用語が海外から日本に伝わって広まるはるか昔に、この日本でも「女性同士の闘いの美」を表す固有の言葉を創り出し定義され世に広められた方がいらっしゃいます。その方(生みの親)については後ほど詳しく述べますが、その造語こそが今回取り上げます女闘美です。

一般にも浸透した”キャットファイト”という言葉とは違い、こちらは単なる女同士の闘いではなく、”女同士の闘いの美”を指すものであり、アンダーグラウンドで生まれ、育ってきた言葉ということになります。ですので、”アングラ系の知識を広くお持ちの方”や”キャットファイト嗜好を持つ方”を除く一般の人にはほとんど知られていない言葉ではないかと思います。また「女同士の闘いにおける美」という概念を示した言葉だった女闘美も、徐々に女同士の格闘(闘い)そのものを指す言葉として使われはじめてしまったことで、今ではざっくりと「キャットファイト=女闘美」という理解になってきているような気もします。近年では、キャットファイト系のAVのタイトルや企画名、キャットファイト系イベントで使われたりして、ますますその傾向が強まってきているように思います。

ただし、ここできちんとお伝えしておきたいことは決して女闘美という言葉はCATFIGHTを日本語風に直したものなのではなく熱い思いを持った創始者の信念に基づいて定義された日本発祥のオリジナルな用語であるということはご理解頂きたいと思います。

ちなみに、本サイトの名前につけている女闘眼(メトガン)の”女闘”の部分は、もちろんこの女闘美(メトミ)からとっております。気持ち的には女闘美の”美”に込められた”思い”は大事にしたいと考えておりますが、語呂や字数の流れで女闘眼とさせて頂いております。
ですので、実際は「女闘(美)眼」というように「美」が隠れていると認識して頂ければと思います。


女闘美の生みの親

ではこの女闘美という言葉はいつ誰が創ったのでしょうか?
その答えは「奇譚クラブ 昭和26年(1951年)5月号」の67ページに掲載されたコラム「女鬪美開眼 - 粟津 實 -」に記されておりました。その一節を以下に引用します。

”メトミ”という語は大正十年(1921年)に創作され、時の大毎紙上に活字として其姿を見せた。「メトミ」は「女闘美」の片言読みであり愛称読みでもある。生みの親は勿論筆者である。

つまり女闘美という言葉は、粟津 實(あわづ みのる)というお方によって1921年に生み出され大阪毎日新聞の紙上で産声をあげたということになります。

ここでこの世界で相当詳しい方であれば、もしかして生みの親が「粟津 實さん」と聞いて「あれ?」と思った方もいるかもしれません。そのような方はおそらく「女闘美という言葉を創った人は土俵四股平さんじゃなかったかな」と思っていたりするのではないでしょうか。

はい、その認識も間違っているわけではありません。

「土俵四股平 」という変わったお名前を見ればわかりますように、これは本名ではなくペンネーム(今でいうと本名ではなく匿名を使ったユーザー名やハンドルネームといったところ)です。つまり”粟津 實さん”と”土俵四股平さん”は同一人物です。ここで、一応粟津 實というお名前もペンネームであるという可能性も疑われましたので、私なりに色々と調べてみましたが、(絶対にそうとは言い切れませんが)おそらく本名で間違いないと思います。

実はこの方は”粟津 實”のお名前でアウトゲーム」という女性の体育技を発案し、「アウトゲームの栞 : 女子新体育技」という名前の書籍を残されており、一般的に名が出るようなところでは本名である”粟津 實”で原稿を書いていたのではと考えております。

ちなみに補足説明をさせて頂くと「アウトゲーム」とは、女性の体力向上を目的とした”女相撲の変化形”の競技のことです。
相撲から”投げ”等をなくし、「押しだし」での勝敗を競うものとなってます。相撲には過去からのイメージから女性が取り組みにくいという問題点があり、それを除去し、子供から大人まで女性がアウトゲームという新しい競技、ルールで闘えるようにするというものでした。表の目的は女性の体力向上ですが、裏の目的には正に女闘美の一般化を目指して発案されたのではないかと私などは勘ぐってしまいます。ただ残念ながらこのゲームは学校に取り入れられたり、一般化することはありませんでした。

そしてこの「アウトゲームの栞」の中には京都帝国大学医学部・北村 直躬さんのコメントが直筆で冒頭に記載されており、そこには”粟津 實様”と書かれております。おそらくこの方は熊本女子大学初代学長の北村 直躬先生だと考えられますので、このような書き方をされているということからも粟津 實はペンネームではなく本名ではないかと考えられます。

アウトゲームについて詳しく知りたいという方は国立国会図書館オンラインで公開されてますので見てみてください。

他にもこの方は”土俵四股平”とは違う別のペンネームで”みのる生”という”實(みのる)から生まれた”ことが暗示されているペンネームをつけていたりしてますので、そこからも”粟津 實”が本名であるという可能性が高いのではと考えられます。

その辺りから考えても”女闘美”という言葉が産声を上げたと言われている大阪毎日新聞に寄稿された時のお名前はおそらく”粟津 實”だったのではないかと考えます。よって、ここでは生みの親は「粟津 實」さんとさせて頂きたいと考えております。

しかし、奇譚クラブの中で「粟津 實」というお名前で書かれたのは後にも先にも1951年5月号だけ(私が確認した限りですが)であり、それ以外の女闘美関連の文章はほとんど「土俵四股平」のお名前で綴られてます(ちなみに他にも先ほどふれたみのる生の他に加茂三千彦というペンネームを使って文章を書かれていたみたいです)ですので、女闘美という概念を世に広めたのは間違いなく「土俵四股平」というペンネームであると言えると思います。

よって
生みの親は「粟津 實さん」
育ての親は「土俵 四股平さん」

といった感じでしょうか。

まあどちらも同じ方ですので、結論としては粟津 實(ペンネーム:土俵 四股平)が女闘美の創始者ということになると思います。ちなみに土俵四股平というペンネームは昭和2年の滑稽新聞に載せた時から使用されているとのことで、主に女闘美方面に関するペンネームとして用いていたとのことです。

またこのお方は「女闘美」という言葉を創ったり「アウトゲーム」という競技を発案したりする以外にも、以下のような女闘美に関連する様々なことを行っていたみたいです。

  • 自らのアトリエに女闘美研究生なる女性の弟子を囲って、女闘美のデッサンをさせたり、短歌を詠わせたりすることで”女闘美の心”を共に探求していた
    また女闘美研究生の女性は探求だけではなく、時には自らが激しい女闘美(主に女相撲)を行っていた
  • アトリエの一室には相撲場があり、女闘美研究生だけではなく、たまにモデルの女性達を呼んで、主に女相撲による女闘美をさせていた
  • アトリエに客として訪問した女闘美に興味のある人に対して女闘美のデッサンを披露したり、実際の女闘美をモデルや弟子にやらせてそれを鑑賞したりしていた

何とも夢のようなお話ですね。これは奇譚クラブに粟津さん(土俵さん)が投稿された内容や、女闘美研究生の一人だったと思われる北海千珠子さんの小説から想定される事です。ただあまりにも夢のようなお話なので、はじめは全部この方の妄想なんじゃないのか?と思っておりました。しかしこの方については調べれば調べるほどに、事実に基づいたフィクション形式で書かれているのではと感じるようになりました。実は先に記載したようにこの方は「アウトゲームの栞」という書籍をだしているのですが、そこに載っている情報や、そこからわかる情報から色々と辿っていくと”京都で由緒ある家柄の資産家だった方”ではないかという結論に達しました。あまり個人を詮索するのは良くはないので詳しくは述べませんが、色々な情報を総合するとあながち間違いではないと思っております。

最後にごく一部のコアな人の中には知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
”大正5年に山科に女闘美研究所なるものが設立された”
という記録が残っております。

これは先に記載した女闘美が生み出されたとされる1921年から5年も前の1916年ということになり、こちらが先に女闘美という言葉を使っていたのではと思っている方もいらっしゃるかもしれません。私も詳しく調べる前にはその辺りが少し引っ掛かってました。
しかし先に述べた女闘美の誕生のお話が載っていた奇譚クラブ 昭和26年(1951年)5月号の67ページにあるコラム「女鬪美開眼 - 粟津 實 -」に、その答えも載ってましたので以下にその一節を引用します。

そして「メトミ研究所」なるものの看板のあがったのは大正十五年の春、場所は京都市山科の里であった

つまり女闘美研究所もこの粟津 實さんが創られたものだったということだったのです。ですのでおそらく女闘美研究所が設立されたという記録が大正5年となっているのは、大正15年の誤りなのではないかと思われます(10の位が抜けていた誤植ではないかと推察します)

更に「アウトゲームの栞」の出版元になっている”日本婦人体力改造同志会”の住所を見てみると、そこには京都市外 山科竹鼻と書かれておりました。つまり粟津 實さんのアトリエでこの書籍を作ったと考えれば「日本婦人体力改造同志会の住所=アトリエの住所」だったと考えられます。つまり”山科”にあったとされる女闘美研究所とは即ち粟津 實さんのアトリエを指していたのではないかと考えられます。

粟津 實さんが創った造語を冠した”女闘美研究所(=アトリエ)”は1926年(大正15年)に作られ、そこでは投稿された随筆や小説に描かれているように、実際に女性の女闘美研究生が集い、粟津さんと共に女闘美の研究を行ったり、時折激しい女闘美が繰り広げられていたと考えられるのではないかと思います。正に女闘美研究所の名に恥じない、私たちにとっては夢のような場所だったのではと思われます。

それにしても何もない時代に独力で「女闘美」という概念を生み出して定義し、それを自ら研究し女性に実践させ、文章により同好の士に発信し、CF嗜好のすそ野を広げることを成し遂げた粟津 實(土俵 四股平)というお方は正に
日本キャットファイト界の第一人者
と呼ぶにふさわしいお方であり、私たちにとっては尊敬すべき偉大な大先輩であると思います。


女闘美と女斗美とメトミ

実は”メトミ”を漢字に書くと”女闘美”というものと”女斗美”というものの2通りの書き方が存在しています。この”女斗美”の表記を使っていたのももちろん土俵 四股平(粟津 實)さんです。こちらについては「奇譚クラブ 昭和32年(1957年)7月号」の”女斗美偏路 -土俵 四股平ー”というコラムの中でも以下のような記述を見つけることができました。

  • 女斗美という新造語が生まれてハヤ37年になる
  • 最近になって私の新造語を、ただ単なる格斗に冠する人があらわれているが、生みの親としては誠に迷惑である

ところで、粟津さんは「女闘美」と「女斗美」の2つを意味があって使い分けをしていたのでしょうか?
その答えは残念ながらわかりません。コラム等でそれらについて言及されたものを見つけることが出来なかった為、読み取ることはできませんでした。

一般的に言うと”斗”というのは”闘”の簡体字(従来の漢字を簡略化した字体体系)となります。そしてもっと厳密に言うと正字と略字というよりはまったく別の文字であると捉えるほうがどちらかと言えば正しく、従って日本語の”斗”という字には闘うという意味はないみたいです。しかし映画”OK牧場の決斗”のように「決斗(けっとう)」や「斗争(とうそう)」といった表現が誤って使われた為、”闘”を”斗”とする表現が一時期広がったされております。ですので、執筆の際に気分によって”闘”と”斗”を使い分けていたのかなというレベルのお話と考えるのが最も自然なのかもしれません。いずれにせよ、「トミ=女闘美=女斗美」ということで問題ないと思います。


女闘美に込められた想いとは

ではこの女闘美にはどのような想いが込められているのでしょうか?

いくつかのコラムで綴られているお話から、その辺りに触れた個所を簡単に抜粋します。まず「奇譚クラブ1954年10月号」の「女闘美考現」というコラムにおいて以下のように述べられております。

  • メトミは「相攻め」乃至「相責め」の美であると言える。「相攻め」が白熱化すると自然に「相責め」に達するのである。
  • メトミは健康な若い女性で体力気力もほぼ伯仲する物同志の「相責め」から発する斗力美である

また「奇譚クラブ1958年8月号」の「女斗美相伝」というコラムの中で、弟子の土俵佶子さんと女闘(斗)美の3心について論じておられます。

曰く女斗美の3心とは

  • 自分は負けても相手を負かす斗志
  • どこまでも女性が持つ美、すなわち美しい乳房や豊かな腹に代表される女性らしい曲線と色調の総合美
    (この方にとっての女性の魅力は乳房とお腹のようです)
  • 愛する人との花園を犯す同姓に対して命をかけて挑みかかる、愛に目覚めたひたむきな勇猛心

だと書かれております。

ここで、佶子さんはこのやり取りで以下のように女斗美について悟ったと語ります。

女斗美の美しさは、愛人のために死斗する女の全姿から発するコロナのようなものですわね。裸の若い姿が、乳房もおっぽり出してたとえ自分は負けても、必ず自分の目で、憎い相手の負けた姿を見る。自分の耳で、相手の負けた声をきく。それ迄は、殺されても死なぬ斗志だと思います。どこまでも相打ちの相撲ですわ 。

上記で書かれた女闘美に込められた想いや心については、私にとっても本当に理解できますし、頷けるお話です。正に私が求める女闘美像とも一致しております。

女の喧嘩や闘いは日本においては特に”みっともない”とか”醜い”とされておりますが、私達のようなCF好きの宿命に生まれてきた者にとっては、本気で闘うその姿にはある種の”美”を感じることも多いのではないでしょうか。もちろん芸術的な”美”ではなく、女性同士の感情と肉体のぶつかり合いから発せられる”本能的な美といいますか、そういったものに強烈な魅力を感じてしまいます。ですので、私もこの女闘美という単語を初めて知った時には、「女闘+美」という組み合わせにある種の納得感を覚えましたし、このような”女同士が闘う美”を表す名称があることに感動しました。

この”女闘美”という言葉を、そこに込められた想いと共に後世に伝えていきたいものですね。


良かったら気軽にコメントしていってください

コメント

コメントする

目次